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ーコロン後の社会についてもヒントが得られるかー いま渋沢がいれば、産業界、経済界全体が力を合わせて危機克服に 取り組むよう指導力を発揮するのではないか。 豊富な資金を持つ企業から寄付を集めて、基金を作る。 生活困窮者や医療従事者への緊急支援のための組織を立ち上げるなど素早く行動したに違いない。 長年研究してきた木村昌人・関西 大学客員教授は、著書「渋沢栄一 日本のインフラを創った民間経済の巨人」で、21世紀の国造りも視野にいれた様々な制度の見直 しに動くはずだと指摘している。 (日経新聞2021.8.16「ニッキイの大疑問」記事参照)
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| 2021-10-29 12:03
| 社会経済
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社会から広く集めたお金を元手(資本)にして、銀行などの会社を作り、社会的に意義のある仕事をする。 これこそが「道徳経済合一説」を具体化できる仕組みだった。 フランスでは合本組織の仕組みを使って、株式会社、銀行、鉄道な どが次々と生まれていた。近代資本主義を間近に学んだことが、日本経済の出発点になった。 日本に帰ると徳川幕府が倒れていたが、本来、日本を立派な国にしたいという考えがあるので、明治政府の大蔵省に入り、貨幣や租 税、近代的な銀行などの整備を進める。民間に転じると、パリで開眼した合本組織を使って、近代化に必要な会社を次々に作っていっ た。 (今なぜ渋沢栄一?5へ続く、日経新聞2021.8.16「ニッキイの大疑問」記事参照)
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| 2021-10-28 12:45
| 社会経済
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渋沢は幕末期、埼玉の豪農の家に生まれた。父母はともに慈悲深く、困窮者の世話をよくしていたという。 彼も同じような人柄で、世の中を良くしたい、日本を強い豊かな国にしたいと願い、その役割を担う武士になろうと志した。 幼少時から論語などの中国古典に親しみ、経済と道徳の問題を考えるうちに、だんだんと「道徳経済合一」という考えを持つようにな っていった。 ―会社をとにかくたくさんつくったー 徳川幕府に仕えると、パリ万博への使節団に加わって、フランスに渡る。そこで「合本組織(株式会社)」という仕組みに出会う。 (今なぜ渋沢栄一?4へ続く、日経新聞2021.8.16「ニッキイの大疑問」記事参照) #
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| 2021-10-26 13:38
| 社会経済
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約100年前、オスマントルコに迫害された難民のために多額の寄付金を集め、届けたことへのお礼だった。 国際人道支援の先駆者でもあったのだ。 ー彼の独自発想はどこからきたのかー 幅広い活動の底流に、自ら「論語と算盤」「道徳経済合一説」を呼んだ考え方があった。自分だけがもうかればいいという発想では、 いずれ行き詰まる。みんなの力を合わせた事業が社会の利益につながり、みんなが豊かに暮らせるようになる。 経済活動は個人の利益と同時に、公益も目指すべきだ。 だから、企業には社会貢献が欠かせないと考えた。 (今なぜ渋沢栄一?3へ続く、日経新聞2021.8.16「ニッキイの大疑問」記事参照)
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| 2021-10-24 13:03
| 社会経済
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どうすれば持続的な経済成長ができるかなど、今の世界が抱える難しい問題を解くヒントが、その生き方にあるのではないか と多くの人が注目している。「日本資本主義の父」と呼ばれた彼は明治以降、銀行や交通、製紙など約500社の設立、運営に携わっ た。 この人がいなければ、私たちの生活はずいぶん違っていたといわれるほどだ。 一方、貧しい人々の救済など社会福祉や慈善活動にも取り組んだ。その数は約600とも言われている。 7月、五輪の開会式で来日したアルメニアのアルメン・サルキシャン大統領が、渋沢旧宅跡の渋沢資料館(東京・北)を訪れ、「国の 恩人だ」と感謝のメダルを送った。 (今なぜ渋沢栄一?2へ続く、日経新聞2021.8.16「ニッキイの大疑問」記事参照) #
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| 2021-10-23 14:54
| 社会経済
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